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2012年12月12日 (水)

ポツンと神社が・・・

虎御前山東麓の大洞村を探していたときのことです。

ふつう、村の氏神さんや郷社は、どこかの集落の中か、近くに鎮座していることが多いのですが、その神社は広い田んぼの中にポツンとありました。
Dsc03463_2「一体どこの・・・?」疑問に思い近づいてゆきました。「王内儀神社」とありました。不思議な社号ですが、主神が「神功皇后」と聞いて納得しました。銘板には、「この地域はいつも田川の洪水に悩まされ、しかも大きな沼地となっており人々が沼へ引き込まれ、困窮していた。それを見た、神功皇后が哀れに思い救ってくださったので一社を建立した。」と、ありました。

田川」の土手下で、「錦織荘」(難波・錦織・酢・田・大寺・月ヶ瀬・唐l国)の最上流部に、この神社が鎮座していることに興味をもちました。

「田川カルバート」建設の機運がわきおこる地域、錦織荘にとって洪水が鎮まることは最大の願いごとで、その祈りを捧げる地として、村から離れた荘へ川が流れ込む地点に、この神社を建立した悲しいまでも必死な当時の村人の気持ちが伝わってきます。

Dsc03462_2なお、この神社については、浅井亮政も「誠尽くすなら霊験は忽ち現れ、神威を犯すなら忽ち罰があたり、崇拝すべきである。」と、書き残したという記録があるそうです。

写真 上 田んぼの中に見える「王内儀神社」、背後の土手は「田川」、山は「虎御前山」  下 境内風景



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コメント

神功皇后さん、皇后ですので女性ですね。
慈悲深い方のようですが、「哀れに思い救う」なんて神がかりみたいな事が出来たんですね。shineshine
どのように救われたのか、関心がありますわ。
当時の村人さんが、その地にポツンと神社を建立されるくらい、感謝してもし切れないくらいの誠を尽くされたんでしょうね。heart02

こんな事を聞いたら罰が当たるかしら?

この しめ縄 少しかわっていませんか?
水の苦労があちらこちらで有ったようで、ずいぶんお雇い外国人技師さんが活躍されたようですね。
雇い外国人技師さんと聞くとデレーゲを思い浮かべますが…

先人たちの水に対する苦労は多々あったのですね。

田川カルバートや西野水道は洪水による災害から守るための
事業ですし、干ばつに対しては姉川や高塒川から用水路を
設置するなど、現代にいろいろ残してくださいましたね。

サラダ記念日さんへ
神功皇后さんが、どのようにお救いになったのか・・・、それは難しい質問ですね。
ポツンと・・・が大事でなく、ポツンとなっても仕方がない錦織荘の水の入り口に、建てたことが面白いと思います。
長政の刀が奉納されていた湯次神社も同じで、姉川と草野川の合流地点に、前のお社があったそうですし、一緒ですね。

◇☆★☆★◇さんへ
しめ縄、変わっていますか。昔は、村人が毎年作っていたと思いますが、今では、多忙で何年ももつ市販のしめ縄を使っていますね。
この色のしめ縄は、相当長く使えそうですよ。
デレーゲさんって、誰ですか?いま、ネットで調べました。物知りですね。

yawaragiさんへ
逆に、恩恵を受けていたという見方も大事ですね。

ただ、水害で言うと、かなり上流でも高時川の左岸、姉川の右岸で堤防が決壊したら、その水は全て、この虎姫4か村に流れてくるので、たまったものではありません。
10年のうち、7,8年被害があったというのもうなずける話です。

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