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2012年11月27日 (火)

伊部本陣に無い真ん中の川

あちこちの宿場町の古図や写真を見ると、街道の真ん中に川が流れています。
これは、宿場を利用する旅人が足を洗い、馬を洗うために使用したものと思われます。

木之本宿でも、昭和10年ころまで、道路の真ん中に水路があることが、写真からもわかります。むしろ、その頃まで残っていたこと自体が、不思議だとも思えますが・・・。
Dsc03632その後、交通量の増加、自動車の普及などから、この水路は埋設され道路を広く使うようになってきました。

ところで、伊部本陣の場合は、どうでしょう。

江戸時代末期(文政年間)の伊部宿家数絵図を見ると、中央水路は描かれていません。一体どうなっているのでしょうか。

答えは、伊部本陣の場合、小谷山、雲雀山からの豊かな水量の川が幾筋もあり、街道を横断する形で流れているのです。

この絵図を詳しく見ると、何と街道を6箇所にわたって横切る川があり、それぞれに「はし」と書かれています。
Dsc03947ab_2街道に沿う川の場合、汚れた水が下流に流れることになりますが、横断する場合は絶えず美しい水が流れ込むという利点があります。

ただ、「はし」とあることは、蓋があるわけで使用する際にはそれを上げる必要があり、うまく元に戻しておかないと暗い夜道で川にはまる人が出ないのか・・・下世話な心配をしています。

写真 上 昭和10年頃の木之本宿(山路酒造さんご提供)  下 伊部宿家数絵図(文政3年1862)上が西です
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コメント

え~~?「はし」に蓋があるんですか? 昔はどのような「はし」だったのでしょう?
そりゃそうですよね~、今のような「橋」ではなかったのですね。

そのように日常生活に近い話だと嬉しいわ~!
早速、調べましょう pcで。 wink

北國脇往還のブログを書いた時、伊部には井戸跡が6か所あると
書きました(1か所しか見つけられませんでしたが)

豊かな川があるのに飲み水には適さなかったのでしょうかね。

木之本は道の真ん中に川があったおかげで、今では広い道が確保
できてますね。(情緒は無くなったかもしれませんが)

サラダ記念日さんへ
ごめんなさい。はしに蓋でなく、溝、川に蓋のような橋が架かっていただろうというつもりでした。
本格的な橋でなく、ミゾブタのような物かなと考えたんです。
ところで、サラダさんは、絵文字?カット?を上手に使いますね。なかなか、使い出そうとする勇気がわきません。

yawaragiさんへ
山からは少し離れていて、飲み水には適していなかったのかもしれません。
あの伊部町の井戸が、半分道路にかかっていたということは、道路がその後拡張されているということですね。
昔は、街灯もなく暗い夜道、道の真ん中に川なんて、酔っぱらいには大変だったと思います。

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