« 悲劇の北国道道標物語 | トップページ | 亀塚絵図から分かること »

2012年11月 6日 (火)

亀塚古墳の持ち主は誰?

このほど、当館ふるさと歴史探訪で、開催中の企画展に協賛「北国脇往還を歩く」が実施されました。好天に恵まれ、案内人長浜城の太田さんの名調子に聞き惚れながら、内保町から馬上町までを歩きました。

その途中、現在展示中の「亀塚絵図」に描かれている「亀塚」前に立ちました。私的に言えば、中学時代の自転車通学路沿いで毎日眺めていた古墳です。

全長10mほどの、ホントに小ぢんまりした、でも円墳の形をしっかり残し、しっかり整備された見るからに可愛い?古墳です。
Dsc03650
これは、壬申の乱で敗北した近江朝廷側の中臣連金(なかとみのむらじかね)の墳墓と伝わっています。日本書紀に「中臣連金を田根で斬る」とあり、田根荘の名が国史に初めて登場する事件です。

ところで、この古墳は、誰の持ち物かご存知でしょうか

京都に在住のかつて京都植物園の園長もされた公家につながる○○家が所有していると聞いたことがあります。
京都植物園も戦前は、たしか恩賜京都植物園であって皇室につながるものでした。その園長を、公家の方が・・・・・、京都の公家が現在もそうした皇室関連の施設に勤めておられることは当然のことかもしれませんが、興味あることです

ところで、この古墳が○○家の所有になったのも、明治初年全国の天皇陵が整理された際、余ったものを分けてもらわれたと考えるのは、少々うがった考えに過ぎるでしょうか。

写真 「亀塚古墳」(長浜市八島町、珍しく西側から撮ってみました。}

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村 旅行ブログ 近畿旅行へ
人気ブログランキングへ

« 悲劇の北国道道標物語 | トップページ | 亀塚絵図から分かること »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

西側から撮ったほうがいいですね~
この古墳にはそのような歴史があったのですね。
初めて知りました。
もう一点、私は展示しているお軸に描かれている
亀塚の東側?の古墳も気になっています。
いつの時代までは確認されていたのでしょうね・・・

お市さんへ
西側から・・・、そんなことありません。展示してあるお市さんの東側からの写真、素晴らしいです。
やっぱり、撮るなら東なんですけど、時間の関係で仕方なく・・・。
その通り。私も気になっています。一度、調べたいと思っています。

ここは宮内庁の管轄ではなかったのですか。

米原市村居田の息長陵は宮内庁が管理されてますね。

yawaragiさんへ
私も、宮内庁か、どこか公的な所が保有しているものと思っていました。
それが個人で、しかも公家の系譜を持つ人という点で、興味がありました。
はっきり、天皇陵と定められているものは、宮内庁管轄になっています。
曖昧なもの、準ずるものもあるようですが・・・。

とうとうアクセス10万超、おめでとうございます。みんなで乾杯!winewinewinewinewine

私100033人目です。10万人目ってどなたでしたんでしょうね!wine

サラダ記念日さんへ
ありがとうございます。ちょっと、留守にしていた間に、そうなりました。
一区切り付けるまでに、10万になるかな?と、思っていましたが、意外に早かったです。
皆さんに、感謝するのみです。

先生「亀塚絵図」の持ち主のIさんが来られ
「神輿塚」の興味深いお話が聞けました!

お市さんへ
実を言うと、その前日、その方に電話でお話をさせていただいていたんです。
「神輿塚」の話、興味ありますね。
先を越されないうちに、また、記事にします。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1504267/47737468

この記事へのトラックバック一覧です: 亀塚古墳の持ち主は誰?:

« 悲劇の北国道道標物語 | トップページ | 亀塚絵図から分かること »