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2012年11月12日 (月)

亀塚古墳図からNo.2

続きです。

この図を描いた人のことについて、この図では、「慶長六年十二月三日 御代官様日下氏画之」とあります。

御代官様と、「」が付き、「」が付いていて、代官の描いた図を模写したことが分かりますし、この日付は、代官が描いた日のことと考えるべきでしょう。

Dsc03604当然ながら、慶長六年より後の人が模写したものです。(その意味では、当館展示の解説パネルの年号は、ちょっと気になりますが・・・。)

それと、代官の名が、「日下氏」とありますが、この地の代官として名を残す人、また、慶長年間に代官だった人は、「日下部善助」が知られており、模写した人が、写し間違いをしたものと思われます。

代官様のお名前を間違えるなんて、由々しきミスをすることから考えて、この模写は相当後の世の人が行ったと考えるべきだと思います。

この日下部善助は、以前「宿場免許の争奪戦に敗れる」(2012.8.31)で紹介した、尊勝寺村を栄えさせた人であり、慶長6年(1601)、徳川家康が本願寺の力を削ぐため教如を本願寺の門跡に復帰させる前、この地域に五村別院を建てた時、中心になった人物です。

写真 当館主催「北国脇往還を歩く」での亀塚付近、太田先生が説明中です。

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コメント

「部」が、抜けていたんですね。
見直しという大切な作業をしなかったのかしら?eye

ところで「クサカベ」と、読むのですね?

五村別院が建てられたのは、本願寺の力を削ぐため
という目的があったのですか。初めて知りました。

サラダ記念日さんへ
書き終わってから、気づいたんと違いますか。
あーーー、折角描いたんだし、紙ももったいないし、これで辛抱しようと思ったように思います。
そう、クサカベです。フリガナつけようと思っていたんですが・・・。

yawaragiさんへ
そのように、ご理解いただくと少し短絡的かしれません。
でも、結果的に、家康が教如さんに肩入れして、分裂を・・・と、いうことになりました。

私はきっと間違いに気付いてなかったと思います。
現代の人間ならともかく、昔の(いつ頃かはわかりませんが)
人は、実直な方が多かったと思うので、気が付いていたら
直したと思うのですが・・・・間違うことはないと思い込んで
いると気が付かないことってあると思うのです。

お市さんへ
きっと、間違いに気づいてないと思います・・・、って確かに、素直な見方、実直な見方ですね。

私の間違っているのはわかっていたけど、もったいないのでそのままにしたという見方とは、大違いです。
私は、現代は実直な人が少ない見本、あなたは、現代にもまれに実直な人がいるという見本になりそうですね。

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