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2012年10月 7日 (日)

砂山のこと

砂山」の唄で知られるような、自然に作られたものでない、「人工的な砂山」のお話です。

先日紹介しました大洞村を紹介する写真、その手前に写っていた藪、田川の堤防のそこだけこんもり盛り上がっています。

Dsc03456間違っているかもしれませんが、思い出すことがあります。

この田川の上流が、我が「田根荘」では、荒川・田根川と呼ばれています。その堤防道が、中学校への通学路でした。

その荒川が、折れ曲がった地点に、小高い山というか岡がありました。高さは10mはあったと思いますが、アケビやマメヅル(葛)が自生し、とても人間が作ったとは思えない大きさでした。

麓は、道普請の補修用土砂として、村人が削り取るのか、崖になっていて登りつける状況ではありませんでした。中学以来、どうして出来たのか疑問に思ってきましたが明快な答えを示してくれる人はいませんでした。

随分してからです。村人が荒川の川底に溜まった土砂をさらえ、運び、営々として積み上げて来たものだとの話を聞くことが出来たのは・・・・・。
Dsc03540
第2室戸台風だったか、堤防がズタズタになり大改修された際、その「砂山」も撤去され、そこにそんなものがあったことを知る人は、ほんのひと握となってしまいました。

あのこんもりした藪を、「砂山」と同じように、浚渫した土砂を積んだ所との推理、果たしてどんなものでしょうかね

写真 上 大洞村付近の田川堤防にある盛り上がった藪  下 田根荘荒川の「幻の砂山」のあった場所

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コメント

先ず浚渫(しゅんせつ)の読み方と意味が分かりませんでした。トホホ。

『村人が荒川の川底に溜まった土砂をさらえ、運び、営々として積み上げて・・』と記されてあり、書き入れた赤ラインもずいぶん広く・高い範囲なので、果たして人力だけでこの大仕事を完成させる事ができたのか?と疑問に思いました。

又、ここの浚渫の必要性は何だったのでしょうか?

サラダ記念日さんへ
中学生にとっては、本当に大きな山でしたよ。
この赤線、まだ低いくらいかな・・・と、思っています。
ちょうど、川の流路が曲がる地点で、土砂がたまりやすいんだと思います。
おそらく、浅井長政が治めていた頃も、そんな作業をしていたんだと思います。

貴重なお話をありがとうございました。
戦国武将が誰々と戦ったなどという話より、大切なお話だと感じます。
だから先生が以前、各地域の川や道路などの移り変わりを
調査し保存するということを実行して下さったのですねm(_ _)m

お市さんへ
いえいえ、そんなこと言っていただくと申し訳ないです。

もし、積み上げたとしても、田根は上流で石や砂が多く、中野山あたりは土、泥が中心だったと思います。関係があるのかどうか分かりませんが、木尾町のあのあたりは田根沼という湿地帯でしたし、中野山の東麓も大沼地だったそうです。

昔から、治水のために多くの人が苦労されてきたのですね。

田川で思い出しましたが、「田川カルバート」は姉川の
下にトンネルを掘って水害から守られたのですね。
今度記事にしようかと思ってました。

yawaragiさんへ
中野山の東麓に沼があったり沼地だったというのは、田川の水がしっかりハかないためだったと思います。
田川の大改修工事までは、私たちの地域の田川に近い田んぼも、大雨が降ると慢性的に冠水していたものです。
通学路も、途中まで水に浸かって、その中を足を上げて走るのが面白かったです。

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